真田幸村がふと目を覚ましたのは、丑の刻を過ぎたころだ。暖かい夜だ。引かれるように庭履きを履いて庭へ出た。月は大きく丸く、黄色くて、ぼんやりと景色を照らしていた。
ちらと白いものが松の幹のかげに映り、幸村はゆったりとそれへ近付いてみる。松のこずえの下には何もない。

(まやかしか?)

幸村は寝起きの頭で考える。眠い目をこすり、顎に手をやってぼうっと立ちつくす。
たしかに、人の小袖のようなものが見えたのに。そう幸村が思っていると、こんどは目線の端、木蓮の木の下に鈴の鳴るような白いものが見えた。
逃がすか―――幸村は早足にそれへ歩み寄り、布のはしをえいと掴んだ。

「や、竹中殿」

幸村はびっくりして手を離す。幽霊ではないかと面白半分につかまえた相手は、はるばる美濃から遊びにきた友、竹中半兵衛であった。月の下では白く見えた小袖の裾は、薄い萌葱色だった。

「驚かせて、すまない」

竹中半兵衛は女人のように穏やかな顔で笑ってみせた。
深夜、勝手知らぬ他人の城内でふらふらと歩き回ってすまない、とかれは暗に詫びているのだが、幸村はそれを気にせずニコニコと嬉しそうにしている。

「それがしを呼んだのは貴殿であったか」

半兵衛は相変わらず微笑っている。幸村も嬉しそうに笑っている。

「誰かが、呼んでいる気がしたのです。親しい、誰かが」
「いい夜だからね、君と月見をしたかったんだよ」

竹中半兵衛はほうと溜め息まじりに、天空を仰ぎ見た。反らした首が光るように白い。真田幸村は慈しむような目で半兵衛の姿を見守った。頭上には淡い月、墨を流したような夜空。ふんわりと咲く木蓮、隣には親しい柄の麗人。幸村は数歩あとずさり、木蓮の木の幹へと背中をあずけた。

「竹中殿の夢をみた」

幸村は目を閉じながら言った。半兵衛は穏やかに振り返った。

「竹中殿と共に暮らす夢でござる。花鳥風月を共にして、他愛のない話をし合い、茶などを喫する夢でござる。楽しい夢でござりました。きっとこの幸村は、本当は竹中殿の手をとって戦渦からぬけぬけと逃げ出してしまいたいのでございましょうなあ」

半ば目を閉じ、うたうように話す幸村に、竹中半兵衛はクスリと笑った。ほろほろ、木蓮の白い花びらが降ってくる。半兵衛はゆるやかに近寄ってくると、しゃがみこみ、目をつむった幸村の頬を両手でつつんだ。

「そうしてしまおうか」

竹中半兵衛はくすくす笑った。

「夢、でござるよ―――」
「これも夢だよ―――なにを言ってもなにをしても、誰もどうとも思わないよ……」

半兵衛は幸村の頭を両腕につつみこむようにして、幸村をゆるく抱いていた。
真田幸村の鼻面には、肌触りのよい小袖の布地が当たっている。木蓮の甘い香り、淡い月のにおい、ろうそくの灯りのような花びらが延々と降り続く。


ほろほろ、ほろほろ。


そのまま幸村は眠りについた。



目を覚ますとそこは上田城の一室で、己の寝室の天井だった。
可笑しな夢をみてしまった―――真田幸村は照れくささに頭をかきながら、布団から起き上がった。と、そのとき、近づいてくる足音がある。

「幸村君、朝だよ」

ふすまを開けて姿を見せたのは、客人である竹中半兵衛であった。朝の陽光が寝室に差し込み、心地よい眩しさだった。
半兵衛はまだ布団に座っている幸村の前まで来ると、女人の如ししとやかさで正座をした。そして、にやりと笑った。

「昨晩は、君の夢にお邪魔をしてしまい、すまない」



はて、狐につままれたようだ。

幸村の体に残るはほろほろと甘い、花の香り。



2008/11/13
夢魔はんべ。