半兵衛の文机や、そのまわりに小山を成している黄ばみかけた兵法書。その中から適当に一冊を拾い上げ、秀吉は撫でるように文の羅列を目で追った。
この字は知っている。馴染み深さがある。半兵衛が映し書きしたものなのだろう。
神経質なまでに真っ直ぐで細く、香るような濃い墨で描かれた達筆。ざらつきのある紙にただひとつの滲みもない。
竹中半兵衛はそこにいる。戦国最高の軍師。知謀神の如し、とまで称される人物。
秀吉は目を転じた。しかし今秀吉の前ですよすよ寝こけるそれは神どころか、未だ頬に幼気の残る青年である。柔らかい唇をふにゃふにゃと動かし、己に注がれる視線から逃れるかのように背中を丸める。意志の強そうな、きんと線をひく目尻が前髪に隠れる。
おれ以外の誰も、きっとこの顔を知らない。敵も味方も、恐らくは半兵衛自身もだ。いつも冷たい仮面を被って、つうんと猫のように取り澄ました態度の青年が、今は安心しきって、あたたかな床で幸せそうな寝顔をしている。
秀吉は書物と半兵衛の顔を交互に見比べた。
ぴんと背筋を伸ばし、男にしては睫の長い目を伏せて、無心に筆を進める様子が安易に思い浮かぶ。恐らくはその姿、若しくは戦場を駆け回り、あのよく通る声できびきびと指揮を執る「軍師」が世間一般の知る竹中半兵衛だ。
自分しか知らない半兵衛の存在がこそばゆく、また誇らしく、秀吉は口元を歪めるように笑った。
2008/8/18初出